建部大社

華麗なる いにしえ 船幸祭(せんこうさい)

建部大社は古来建部大社、建部大名神などと称えられ、延喜(えんぎ)式内(しきない)名神大社(みょうじんたいしゃ)に列し、又近江の国の一宮として朝野の崇拝篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。御祭神日本武尊は御年僅十六歳にして熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に三十二歳にして伊勢の能褒野に於いて崩御されましたが、父君景行天皇は尊の死をいたく歎かれ御名代として建部を定め、その功名を伝えられた事が日本書紀に記されてあるが、これが即ち建部の起源である。


第2参道鳥居
 

神 門
 

本殿、権殿
(相殿)
 御神徳  日本武尊(やまとたけるのみこと)

 

第十二代景行天皇の第二皇子で、母は皇后播磨(はりま)稲日(いなび)大郎媛(おおいらつめ)である。幼名を小碓(おうす)(日本童男(おぐな))と申し文武、智勇にすぐれ熊襲征伐後日本武尊と称えられ、崩御後神霊を本殿にお祀し、厄除開運、授福出世、火難除神として崇敬が篤い。
 
 大己貴命(おおなむちのみこと)  
大和一宮大神神社より当社権殿に勧請し爾来、商売繁昌、縁結び、病気平癒、醸造の神として崇められている。
 宝 物
  女神像「さんじん」と、文永7年(1270)在銘の石灯籠1基は、共に国指定の重要文化財である。
「宝物殿を観るには拝観料200円(前日までに予約が必要)」
 境内地  
   約3万平方メートル、社有地9万平方メートルに及ぶ。
 祭に向けて飾付も完了
  船幸祭に向け境内には、各家の名を記した1千余りの堤燈が飾りつけされている。
 

第1参道、大鳥居

第2参道、鳥居

神門と61の堤燈

御神木、三本杉

大灯篭

本 殿

拝殿に準備された神輿

神 輿
 宵宮祭の神事
  宵宮祭は船幸祭が無事に巡行出来るよう、子供たちが集まり安全祈願のお払いを受け、
代表の稚児が玉串奉納をし、稚児たち全員に辞令交付と御幣を授与される。


宵宮祭の大鳥居


宵宮の神輿


子供達がお祓いを受ける

玉串奉納安全祈願
  船幸祭
祭神の日本武尊が船団を率い、東方戦に出たという故事に由来する祭りで、午後5時に建部大社を出発し瀬田川まで、神職、稚児、神楽巫女、4基の神輿などが笛太鼓の囃子と共に巡行。


 大神輿 (1,5t)

中、小神輿

巡行前の勢揃い

神職の巡行
 

お稚児達の巡行

(男)子供衆の神輿

(女)子供衆の神輿

女衆の神輿
 

男衆の神輿

笛太鼓のお囃子で賑やかに

到着前の瀬田唐橋

いざ御座船へ

4基の神輿を2隻の御座船に乗せ、建部大社より運ばれて来た御燈明火種より(大堤燈)に点火され渡御前の神事がすんだ。
 

遥拝所に向かう渡御船団

古式船幸祭遥拝所
御座船渡御が始まり神職船、伶人船、神楽巫女船、稚児船、など10数隻もの船を従へ瀬田川洗堰まで渡御し(約4`)古式船幸祭遥拝所に於いて船上より神事を執り行う。

かがり火で迎えられる御座船

帰還歓迎の水上噴水と花火
  唐橋までの川岸の、かがり火とたいまつに照らされ戻って来た御座船は、打ち上げ花火と水上噴水に迎えられた。


唐橋を渡る大神輿

夜空に咲いた花

最後の連続打ち上げ
瀬田唐橋を神輿が巡行し祭りはクライマックスに達し、御旅所で休憩後、大社へ帰り還幸祭を執り行い、宝物殿へ収納される。
大津祭(天孫神社)、山王祭(日吉大社) と共に大津3大祭とされる船幸祭である。まだまだ残暑厳しい大津の街、その暑さを吹飛ばしてくれるそんな祭でもある。  ( 毎年8月17日に開催される )
建部大社へは
所在地 〒520-2132 滋賀県大津市神領一丁目16-1  TEL (077)545-0038

●JR石山駅より   近江バス   「神領団地」又は「草津方面行」神領建部大社前1分
          帝産バス   「信楽行」にて建部大社前下車徒歩1分
 
●京阪電車石坂線          「唐橋前」下車徒歩15分

 無料駐車場有 70台
資料提供 建部大社
取材   上田 栄治  2007年8月