大津(南部エリア)神社めぐり
 
 大津市は日本列島の中心に位置するとともに、美しい琵琶湖と、それを取り囲む緑豊かな山々という恵まれた自然の中で豊かな歴史と文化がある地域であります。大津は日本の仏教の歴史に大きな足跡を残しています。又、多くの絵画や文学作品にも登場するようになっています。その大津は多くの社寺があり宗教都市としての一面も強く持っていますが、その中で今回は南部エリアに於ける数々の「神社」を紹介いたします。
 
 @萱野神社  A東野神社  B若松神社   C建部大社  D御霊神社 E八坂神社
 F荒戸神社  G波穂神社  H毛知比神社 I春日神社  J新宮神社
 
@萱野神社(かやのじんじゃ)(JR瀬田駅北口下車すぐ)
 
・大江2丁目に鎮座。社伝によれば、萱野神社は江戸時代以前には「正一位九大王社(九大王神社)」「九帝王宮」などと称したようです。祭神は、現在開化天皇一柱となっているますが、江戸時代には、彦坐王命(開化天皇皇子)・観松姫命(同皇女)・武豊葦判別命(同皇子)・大筒城直稚王命(彦坐王命の皇子)を加えた五柱が祀られていました。

・由緒について社伝によると、彦坐王命の第四世にあたる治田の連が、栗太郡一円の開発にあたり雄略天皇六年、遠祖の開化天皇を祀ったことに始まると伝えられています。
本殿は南面して鎮座しており、参道は西側から入り拝殿の前で北に折れる鍵形になっています。
又、膳所城主の崇敬も篤く、一町四方の境内と神田五反を寄せたが、境内は明治22年(1889年)の東海道線の建設によって二つに分断され社殿が移築され、その後、昭和44年(1969年)の複々線化などにより大きく景観が変化しています。(地元の瀬田駅は全部萱野神社の土地でありました。)

・春祭り(5月5日)
 警固役を先頭に色とりどりの鉢巻をつけた神輿かき(力者)が堂々と行進して宮入する場面や勇ましい神輿の渡御が見所です。
A東野神社(ひがしのじんじゃ)(JR瀬田駅南口下車徒歩3分)
 
萱野神社の御旅所です。
 
B若松神社(わかまつじんじゃ)(JR瀬田駅より近江鉄道バス大江下車徒歩約5分)
・大江2丁目に鎮座。祭神は経津主命、配祀神は宇賀大明神。「近江輿地志略」や「膳所藩明細帳」には欽明天皇の御宇の鎮座と見える。又社伝には、下総国の香取大明神(祭神齊主命)が大和国三笠山に勧請される途中、光仁天皇の宝亀8年(777年)大早魃により琵琶湖の水が枯れた際、天皇が武甕槌命、齊主命の二神から満珠を与えられる夢を見、時を経ずして降雨があった為、齊主命を勧請いたことが始まりと言われています。
 
・長和年間(1012〜17)当地に居住していた大江匡衡の娘江の侍従がある夜女房に宿を貸した所、その女房が六寸の白蛇となり1本の若松が生じた。江戸の侍従はそこに社を建てて霊神を崇め若松の宇賀大明神として祀り、以後齊主命も若松大明神と称するようになりました。
・墳丘部削られているがもとは横穴式石室をもつ円墳。県内でも珍しい土師質の亀甲形陶棺をはじめ金環などの金属製品の古墳と考えられます。

・春祭り(5月5日)
 神輿渡御に先立って神社で行われる3本の鉾振り。人々のけがれを払うため、約5メートルの3基の鉾を厄年の振り手10人が2人1組で振りながら境内を歩く春祭りが行われます。
C建部大社(たけべたいしゃ)(JR石山駅より近江鉄道バス帝産湖南交通バス神領建部大社前下車徒歩約5分)
 
・瀬田唐橋の東詰をまっすぐ東へ進むとまもなく大きな神社が建部大社です。古代、各国の神社を格付ける制度の中で最高位にあたる一宮に位置付けられた由緒ある神社ですが、当社に伝わる史科によると、もとは「神崎郡建部郷」にあったものを天武天皇の冶世に建部連安麿が瀬田の地に遷座し、奈良時代に山麓の神領の地に再度遷したといわれています。そして貞応2年(1223)に旧地から西方三町の現在地に遷ったといい、その位置関係からすると遷座前は近江国府域内にあったと考えられます。
 
・正面には神門が見えその奥に神木の三本杉、次いで入母屋造の拝殿、そして中門を隔てて本殿と権殿があり、本殿には日本武尊が祀られています。
・重要文化財の木造女神像などの社宝、境内には文永7年(1270)の銘をもつ重要文化財の石燈籠など貴重な文化財が多く伝来しています。特に女神像は平安時代後期の造像で、当社では祭神日本武尊の妃・布多遅比売とその御子たちとし、日本武尊が伊勢国能褒野で亡くなった時の妃と御子の悲しみを表現した像だとしています。  
・昭和52年「建部大社」に改称。

・納涼船幸祭(8月17日)
8月17日に大津三大祭の一つである船幸祭が行われることでよく知られています。
D御霊神社(ごりょうじんじゃ)(JR石山駅より京阪バス宮ノ内下車徒歩約5分)
・瀬田唐橋を挟む石山と瀬田の地に御霊神社が3社あり、いずれもが壬申の乱で亡くなった弘文天皇(大友皇子)を祭神としています。
・北大路1丁目に鎮座。相当な大社だったらしく、近隣の国分・寺辺・平津・寺内(位置不明)の鎮守で、北大路を含め五領(霊)明神とも称したといい、そして西の庄の石坐神社と同体であったこと、かつ大友皇子の死地に近いことから、いつの頃からか大友皇子を祀り始めたと伝えられています。
 
・瀬田唐橋西詰・鳥居川町の御霊神社は当地が壬申の乱最後の「瀬田橋の戦い」で敗れた大友皇子が自ら命を絶った「隠レ山」だといい、そこに大友皇子の子大友与多王が父の霊を祀るため御霊宮を創建したのが始まりと伝えられ、当地は明治10年(1877)、弘文天皇陵を選定する祭の候補地にあげられています。
・近江国庁跡が立地する三大寺丘稜の一角にあり、国庁跡の北東隅付近(大江6丁目)に鎮座。冶田連の子孫が祖霊を祀ったのが始まりといわれ、もと御霊ヶ原の荘山という場所(位置不明)にありましたが、江戸期に字七ノ社の地(位置不明)を経て現在地に遷ったと伝えられています。
E八坂神社(やさかじんじゃ)(JR瀬田駅南口下車徒歩8分)
 
・月輪1丁目に鎮座。月輪は延寛年間に京都在住の6人衆が膳所藩より大萱地先の土地の払い下げを受け、延寛4年(1676)田・畑・屋敷合計三十三町四反八畝〇九分の新田開発を完了させて、戸数51戸で大萱山内新田村として発足しました。その折氏神は開発者が京都出身者であったので月輪より西の方角の天神ノ森に京都議御社より天頭天皇を分身として社を建て氏神として祀りました。

・明治9年(1876)当神社も素盞鳴命を御祭神に八坂神社として村社に列せられました。
F荒戸神社(あらとじんじゃ)(JR石山駅より帝産湖南交通バス田上車庫前下車徒歩5分)
 
・上田上中野町に鎮座。祭神は天皃屋根命と素盞鳴命を祀り、社伝によると天智天皇の時代に創建されたといい、記録では嘉吉元年(1441)の「興福寺官務牒疏」に「荒戸神は田上谷に在り、神人二人」とあることや、天文18年(1549)の古文書により足利将軍家より当社に預けられた太刀持ち出された為、持ち出した者はこれを返付せよという命令が、近江守護佐々木氏から出されていることが知られます。
 
・社殿は寛永5年(1628)に焼失したが同8年に再建され、元文3年(1738)に改築されました。

・春祭(5月5日)
 神事ののち荒戸神社を出発した神輿は御旅所にあたる波穂神社に向かい、祭礼の後荒戸神社に環御します。
G波穂神社(なみほじんじゃ)
 
・大津市上田上芝原町の鎮座。
・荒戸神社の御旅所です。
H毛知比神社(もちひじんじゃ)(JR石山駅より帝産湖南交通バス田上小学校前下車徒歩約3分)
 
・田上里5丁目に鎮座。日本武尊と保食神を主祭神を主祭神として祀り、社伝によれば天武天皇4年(675)建部大社が現在の大津市神領に遷座した後、天平宝字元年(757)田上杣庄にその別宮を建立、二柱の主祭神を祀ったことに始まり、その際、地元の人々が餅をついて神に献上したが、餅を「もちい」あるいは「もちひ」と発音することが神社の由来になったと伝えられています。
 
・毛知比神社は、広く周辺地域の信仰を集めていたようで、田上郷のみならず・青地・大石・田原など近郊五四ヵ村の大宮であったと伝えられています。

・早穀祭(10月の第三日曜日)
早穀祭では餅が献上されており、正月九日にも「ダイヒョウ」とよばれる類似の行事が行われます。
I春日神社(かすがじんじゃ)(JR石山駅より信楽高原バス中垣内下車徒歩約10分)
 
・大石富川1丁目に鎮座。祭神は建御雷男神、天皃屋根神、経津主神、比淘蜷_、別雷神。本社蔵の「春日大明神紀」によると久寿元年(1154)神託によって大和国添上郡2条に住む蔵人助藤原重友がこの地に勧請したのが始まりといい、社の南側に神宮寺として奈良坊を建立し、文保2年(1318)に春日大明神を再び勧請したと伝えられています。
 
・檜皮葺の本殿(重要文化財)は二間社入母屋造という全国でも珍しい形式を持ち棟木の墨書銘から文保3年(1319)2月18日に造営されたことがわかり、蟇股などに見られる細部の彫刻は大石龍門の八幡神社に残る旧社殿の蟇股・欄間(市指定文化財)や大石中町にある佐久奈度神社御旅所社殿(市指定文化財)の蟇股などともに、鎌倉時代の文様意匠を知ることが出来ます。

・春日神社に行く途中に岩屋耳不動尊(耳だれ不動)が山の中腹(徒歩5分)にあります。
J新宮神社(しんぐうじんじゃ)(JR石山駅より京阪バス大浜下車西へ徒歩10分)
 
・壬申の乱で敗れた大友皇子が現在の石山寺の境内あたりで死んだ。そこで後皇子と一族をまつる為三十八社五明神社を死地に建立、新宮神社はその分霊を移したもので元の社殿を古宮と呼ばれました。
 
参考資料:大津市歴史博物館発行の「大津 歴史と文化」―身近な歴史発見―
取材 2007年3月  大野一宇