〜湖国の歴史的建造物と「弘法杉」〜

 
      東海道に築かれた県下初の道路トンネル
「大 沙 川 隋 道(オオスナガワズイドウ)
 

JR草津線三雲駅から旧東海道に沿って西に向かうと、分厚い石造りのトンネルの大沙川隋道が見える。大沙川は湖南市吉永に発し野洲川に合流する川で、普段は水が流れていませんが、長雨が続くと水が溢れ、田畑に損害を与えてきました。土砂の流失で川底が高くなり、東海道の上を流れる天井川となっていました。大沙川隋道は、明治17年(1884)4月(滋賀県土木百年年表では明治18年)に県下初の道路トンネルとして築造されました。長さ16.4m、高さ4.6m、幅4.4m半円アーチ断面で両側壁とも花崗岩の切石積みで頑丈な構造です。
地元では「吉永のマンボ」と呼ばれているそうです。 注)「マンボ」と言っても、キューバのラテン音楽のマンボのことではありません。 マンボとは、天井川の下に造られたトンネルのことを言います。
大沙川の西を流れる由良谷川も天井川で、明治19年(1886)由良谷川隋道(長さ16m、高さ3.6m、幅4.5m)が築かれました。天井川として有名な草津川のトンネルも同じ日に竣工されたそうです。
同年、由良谷川隋道の西に家棟(ヤノムネ)隋道(長さ21.8m、高さ3.6m、幅4.5m)も築かれましたが川筋改修のため昭和54年(1979)に撤去され「家棟川」の題額だけが道端に残されていますが、このような状態では、いづれ忘れられ、又歴史が一つ消えて行く様で一抹の寂しさを感じました。
大沙川、由良谷隋道は、現在も原形のまま使用されており、天井川の成因や川越の苦労、道路交通の近代化などを教える生きた教材となっております。


<大沙川隋道>

<由良谷川隋道>

<家棟川に架かるやのむね橋>

<「家棟川」の題額>
「三つのマンボ」
 旧三雲村には、こんな「マンボ」が三ヵ所にあって、いずれも明治十年に着工、吉永隋道(大沙川)が、同年十八年、夏見隋道(由良谷川と針はそれぞれ十九年に完成。当時この隧道の施工費は、三ヶ所とも一括して予算化され、先ず吉永から着工され夏見、針と進められたが、途中予算が足りなくなり、一番初めに着工され、予算が潤沢であった時に完成された吉永のマンボが一番高くて(約4.6m)立派である。予算が底をつき、夏見、そして現在取り壊された針のマンボはトンネルのアーチを高くする事が出来ず仕方なく街道の方を掘って行ったと言われている。針の西寄りの街道に面した家々は、道路よりずっと高い所にある。
県内に現存する石造りの道路トンネルは大沙川隋道を含めて三ヶ所しかないそうです。何れも財団法人土木学会の「日本の近代土木遺産」に選ばれ、もっとも重要な遺産に位置づけられている。国の登録夕景文化財に匹敵する重要なとトンネルですと湖南市の商工観光課でお聞きしました。
「弘 法 杉」

街道沿いのトンネルの上流側の堤の上に「弘法杉』と呼ばれる大きな杉の木がそびえています。その昔、弘法大師空海が大沙川の流れる吉永の坂を通られ、折しも昼近く、大変眺めがよかったのでここで昼食を取られ、その後、箸を土堤に刺されたところ、箸は朽ちることなく、成長して現在の「弘法杉」大杉になったと伝えられています。
もとは2本立っていることから二本杉とも言われましたが、安永2年(1773)の大風(台風)によって1本が倒れ、残り1本(幹の周囲 6m、樹高 26m、樹齢約750年)が湖南市指定の文化財、天然記念物です。
弘法大師師の銅像も祀られ、毎月21日の大師の命日には、多くの人がお参りされるようになり、病気や願い事を聞いてくださるとのことで、東は名古屋、西は大阪からもお参りにこられるそうです。有志の方が月2回掃除をされ、これからも弘法杉と弘法大師を、守り続けたいと言っておられました。

 

 

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取材 2006年12月 多田 肇