湖 南 三 山
金勝寺の東方二キロあまり、栗東市と湖南市(旧石部町)の境界にそびえる阿星山の稜線から東側の中腹に常樂寺(西寺)と長寿寺(東寺)ともに旧石部町にある。
又、野洲川を渡った十二坊のふもと岩根山中腹にある善水寺(旧甲西町)がある。
この三山(三寺)はいずれも国宝であり、湖南三山と称し目下売り出し中である。
常樂寺(西寺)
先ずは西寺といわれる常樂寺を紹介する。
常樂寺は阿星山(あせいざん)を山号とし中世以来天台宗に属していた。寺伝によれば元明天皇の和銅年間(708〜715)金肅菩薩が草創したと伝えられている。近江巡礼一番札所であり、道きりといい、あまねく世間の苦しみを救う出発の門口にふさわしい寺である。
国宝の本堂

七間六間の入母屋造の重厚な建造物、内部には本尊秘仏鎌倉時代の千手観音坐像(63センチ)が安置されている。
国宝三重の塔

本堂に向かって左に三間四方の本瓦葺の室町時代の三重塔、初重内部に釈迦説法図などが描かれている。

太い注連縄

西寺の里に通じている入口の上に太い注連縄が張られている。それは病魔や信仰心のない他国ものが里へ入ることを禁じた道きりである。
西寺の参道

ひっそりとした参道であるが、かっては悠然と建っていた山門があったが慶長年間、大津市の園城寺に移築された。
境内の建物
 
長寿寺(東寺)
長寿寺も山号を阿星山と称し、良弁僧正によって天平年間に開かれたと伝えられている。
縁起によると、聖武天皇は皇子がなかったので良弁に祈願させ、阿星山中に篭り願成就して皇子が誕生した。その生誕にちなんで行基に子安地蔵菩薩像を刻ませ本尊にした。
境内には常樂寺と同じように三重塔があったが、織田信長によって安土のハ見寺に移築され、今も優美な姿を見ることができる。
国宝の本堂

五間、五間の寄席棟造り、屋根は緩やかな線をもつ桧皮葺。内外陣の蟇股(かえるまた)・組み物など細部も建築史上稀にみる貴重な建物だ。
像高142.5センチの本格的な木造阿弥陀如来坐像が安置されている。
東寺の参道 

小さな水車が回っていた。参道の両脇には桜、もみじ、檜などの並木が続き四季折々に風情をかもしだす静かな参道である。

弁天堂

弁天池に突き出すように小さいが実に出来の良い弁天堂がある。方一間、 桧皮葺、屋根一重入母屋作り。(1484年建立)

白山神社 

長寿寺の守り神、この建物も室町時代の建立で国重文である。
 
善水寺
旧甲西町の東北部にあり、十二坊のふもとにある山寺である。寺伝によれば和銅年間(708〜715年)に創建のち最澄が桓武天皇の病気治癒のため境内にある清水を汲み献上したところ病気が治り延暦九年(790)に善水寺の寺号を賜ったといわれている。
秘仏の本尊薬師如来像は胎内名から正暦四年(993)とわかり、銘文のある仏像では県下で最古である。本堂は常樂寺、長寿寺と共に典型的な天台系の和洋の仏道形式を有し、いずれも信長の戦火をまぬがれている。
国宝の本堂 

七間、五間の入母屋作りの桧皮葺、優れた建造物で貞治三年(1364) の再建。内陣・外陣は格子戸や菱格子欄間で区切られた典型的な天台佛 堂の形式をもっている。内陣の須弥壇の上にある御本尊がおられる厨子(国宝)は入母屋作り?葺きで本堂と同時代のものである。
28体の仏像

残念ながら写真は撮ることが出来なかったが国宝の薬師如来像を初めとして日光、月光菩薩と言われている出来の良い仏像がならんでいる。
善水寺の清水

桓武天皇がこの水を御飲みになり病気が快癒したといわれている。
お寺ではこの冷水を分けることも行っている。
天台仏教の全盛時代、金勝寺や常樂寺、長寿寺、十二坊のふもとの善水寺、小菩提寺、正福寺等の寺院があり里の人々の信仰心を熱いものにしていた。
 
常樂寺
 湖南市西寺6丁目5−1
 TEL 0748−77−3089
 【拝観料】堂内拝観500円(要予約)

長寿寺
 湖南市東寺619       
 TEL  0748−77−3813
 【拝観料】寺宝拝観500円(要予約)

善水寺 
 湖南市岩根3518
 TEL 0748−72−3730
 【拝観料】拝観500円
取材 2006年4月 片木明雄