東海道五十三次
大 津 宿
53番目の宿場
人口
約1,500人
家屋
約3,600軒
本陣
2軒
旅籠
71軒

広重が描いた『走井茶屋』逢坂山に並ぶ茶店などの前の街道を牛車で京に荷を運ぶ様子を描いたものである。

現在の同じ場所と思われる所
旅人が逢坂越で喉を潤した名水『走井』が今も湧き出ている。
((現、月心寺)


京を目前にした大津宿は、隋一の人口と旅籠をかかえ、東海道でもっとも繁栄した宿場のひとつでした。
東海道、北国街道に加え琵琶湖の交通の要所でした。
東の要として、近江八景『瀬田の夕照』で知られる瀬田の唐橋があり、今も観光地として訪れる人も多い。
西の要には、百人一首にある蝉丸の『これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂も関』で有名な逢坂の関がありました。
松尾芭蕉がたびたび立ち寄った義仲寺には、遺言によって墓が立てられ、辞世の句など多くの句碑も立てられている。
本陣などの当時の宿場の名残は残っていませんが、街角には古い民家や老舗が見かけられ往時の面影を偲ぶことができます。




逢坂の関跡碑と常夜燈


月心寺の走井


義仲寺


瀬田の唐橋


粟津の番所


大津宿本陣跡


古い町並み


石場の常夜燈


取材:2005年2月 大橋 守