東海道五十三次
水 口 宿
50番目の宿場
人口
約1,500人
家屋
約700軒
本陣
1軒
旅籠
41軒

広重が描いた『名物干瓢』名産の干瓢造りの様子を描いたものである。

 

現在の同じ場所と思われる所
後ろに見える山の形から干瓢造りが描かれた付近と思われる。
(別の説もある)


水口の歴史は古く、室町時代には伊勢参宮の宿村として栄え、豊臣治世の時代には岡山城が築かれ城下町に、関が原の戦いで落城後は徳川幕府直轄地の宿場町となる。
その後水口城が築かれ、宿場町でありながら二万五千石の城下町という二つの顔をもって発展をした。
残念ながら当時を偲ぶものはあまり残されていませんが、石橋から高札場跡までの約1Kmは道が三筋に別れる珍しい特徴がある宿場で、古い町並みや武家屋敷門などが、往時の面影を伝えている。
水口の名産は広重も描いた『かんぴょう』で、食べ物は『どじょう汁』が有名でした。
また、4月に行われる水口祭りは日野祭りと並んで県下最多の16基の山車が繰り出し大勢の見物客で賑わう。



当時の姿を伝える武家屋敷門


復元された水口城の櫓


横田川渡しと常夜燈


林口一里塚碑(西見付付近)


古い町並み


三筋道路が交わる高札場跡


本陣跡石碑


東見付(東の入口)


取材:2005年1月 大橋 守