東海道五十三次
石 部 宿
51番目の宿場
人口
約1,600人
家屋
約450軒
本陣
2軒
旅籠
32軒

広重が描いた『目川之里』草津に近い目川の豆腐・菜飯の店いせやを描いたものである。

 

現在の同じ場所と思われる所
『いせや』はなく、現在は民家になっている。


『京立ち石部泊まり』と言われた石部宿は、京から江戸に下る旅人が最初に泊まる距離にある宿場でした。38才の長右衛門が、伊勢参りの途中、石部の宿の仮枕と、14歳のお半と一夜を共にしたため、追い詰められ桂川で心中する人形浄瑠璃『桂川連理柵』の舞台にもなった。
当時の宿場の名残は小島本陣跡に立つ石碑くらいで、ほとんど残っていませんが、見通しのきかない鍵型の道や、しっくい壁、むしこ窓、格子戸のある古い民家がかつての宿場町の面影を色濃く残しています。街道沿いには、徳川家康の腹痛を即座に治したと言う旧和中散本舗などの老舗も残っています。近くに金山の採掘跡があり、堅実な人のたとえの『石部金吉』はここから出た言葉だそうです。




小島本陣跡の石碑


宿場公園(道の辺広場)


古い町並み


老舗の酒蔵


荒れ肌剥き出しの金山跡


天然記念物の美し松


天井川の大沙川トンネル


旧和中散本舗

取材:2005年1月 大橋 守