近江の城  〜その5〜

坂 本 城

坂本城址公園の明智光秀の像

◆坂本城は織田信長が比叡山焼き討ち後、京都・比叡山の押さえとして明智光秀に命じて、元亀2年(1571)に築かせた城である。
大津市坂本の琵琶湖畔に築かれた水城で、当時は陸路よりも水路の方が早く移動ができ、信長も京に入るのに、安土から坂本までは船を利用していたといわれている。

◆光秀は天正10年(1582)主君に反旗をひるがえし、お供の少ない信長を本能寺で急襲し倒した。(本能寺の変)

◆本能寺の変ののち、羽柴秀吉との天王山の戦い(山崎の合戦)に敗れた光秀は撤退中、伏見郊外の小栗栖の森で土民に討たれ命を落とした。
3日天下といわれている光秀の天下は実際は10日ほどであった。

◆坂本城は天正14年(1586)取り壊され廃城となった。資材は大津城の築城に使われたとのことである。

◆現在、城跡らしきものはほとんど残っていない。国道161号線の琵琶湖側にある城址公園に石垣の一部が残っており、本丸などの中核部は湖底に眠っていて渇水期に姿を現す。

◆穴太(あのう)積みで知られている石積みの町坂本には、坂本城より移されたもの、光秀にまつわるものが色々と残されている。
盛安寺には、明智公の陣太鼓・位牌・供養塔がある。
聖衆来迎寺の山門は坂本城より移築されたものである。
また、西教寺の山門も坂本城より移築されたもので、光秀一族の墓もあり、現在も手厚く弔らわれている。

穴太積の石垣が続く坂本の町並み

城址碑



盛安寺の明智公陣太鼓

わずかに残る石垣

聖衆来迎寺の山門

渇水により顔を出した石垣

坂本城案内
・所在地   大津市下阪本3丁目
・JR叡山坂本駅より徒歩15分
・見学年中自由(無料)
・駐車場あり(無料)

西教寺の山門

湖岸より城跡を望む

西教寺の光秀一族の墓

取材 2004年8月22日 大橋 守