近江の城  〜その4〜

八 幡 城

八幡公園の豊臣秀次の銅像

◆八幡城は豊臣秀吉の甥(姉の子)秀次が天正13年(1585)に弱冠18才の若さで築いた城である。

◆織田信長亡き後、安土の民を移り住まわせ、城下町・近江八幡をつくりあげた。また、楽市楽座を施し自由商業を推し進めたことが、のちのちの近江商人発祥につながったのではないかとも言われている。

◆秀次は、5年後の天正18年に清洲城に移り、翌天正19年に関白となるが秀吉から謀反の疑いをかけられ高野山に追放され、27才の時に切腹させられた。

◆現在、本丸跡にある『端龍寺本堂』は、秀次の母(日秀尼)が秀次の菩提を弔うため京都嵯峨野の村雲に建てたものを、昭和36年に移したもので村雲御所とも呼ばれている。

◆八幡城があった八幡山は、鶴が羽を広げたように見えるところから鶴翼山(かくちょうざん)とも呼ばれ、頂上からの眺めは、360度のパノラマで、思わず驚嘆の声があがること間違いなし。

◆城下町に残る『八幡堀』は、築城当時は内堀であり、西の湖や琵琶湖に つながっており、その後水運にも活用され琵琶湖を往来する船を寄港させることにより、近江商人と城下町は大いに発展した。今は市民の憩いの場で散策や写生をする人、観光客も多く見かける。

◆八幡城築城の時に工務監督を務めた旧家・西川甚五郎邸(現西川産業本店)も八幡堀沿い残っている。

 

端龍寺本堂(本丸跡)

 

八幡山



端龍寺の門と八幡城の石垣

 

山頂へはロープウェイで

 

西川甚五郎邸

 

頂上から近江八幡市内を望む

八幡城(村雲御所端龍寺)案内
・所在地   近江八幡市宮内町19−9
・JR近江八幡駅より近江鉄道バス長命寺行大杉町下車、徒歩4分後ロープエェイで山頂へ
・拝観10〜16時、無休、有料
・駐車場あり(無料)

 

頂上から西の湖・安土山を望む

 

八幡堀


 

八幡堀

取材 2004年8月3日 大橋 守